12月に入ると、街は急に色めき立つ。
どこへ行っても楽しげなクリスマスソングが流れ、赤や緑の飾りが、いつもの風景を少しだけ特別なものに変えていく。
けれど、三十代半ばを過ぎ、二人の子どもの父親になった僕にとって、クリスマスはロマンチックな行事というより、一年で最も慌ただしい「一大プロジェクト」だった。
年末に向けて仕事は忙しさを増していく。その合間にも、頭の片隅ではクリスマスの計画を進めなければならない。
子どもたちが書いたサンタクロースへの手紙を回収し、欲しがっているおもちゃを密かに調べる。当日の料理を妻と相談し、人気のケーキは早めに予約する。
子どもたちの弾けるような笑顔を思えば、どんな準備も苦にはならなかった。
ある日の仕事帰り、ライトアップされた大通りを歩いていたときのことだ。
少し前を、若いカップルが歩いていた。寒そうに笑いながら、互いの肩を寄せ合っている。
その後ろ姿を目にしたとき、胸の奥が、ほんの少しだけ痛んだ。
クリスマスの準備といえば、かつては目の前にいる「彼女」を喜ばせるためのものだった。
いつからだろう。僕たちが、お互いのためにクリスマスプレゼントを選ばなくなったのは。
結婚して最初の数年は、内緒でマフラーや時計を買い、照れながら渡し合っていた。
けれど、長男、長女が生まれ、生活の中心が子どもたちになると、クリスマスは子どもたちのためのイベントとなり、お互いのことは二の次になった。
それを寂しいと思ったことはなかった。
家族が増えるとは、きっとこういうことなのだと思っていた。
ただ、その若い二人を見た夜、ふと思った。
いつも家族を優先し、自分のことを後回しにしている妻を、僕はきちんと労えているだろうか。
妻は、もう欲しいものなどないのだろうか。
数日後、僕は久しぶりに妻を誘い、二人でカフェへ出かけた。
平日に休みを取り、子どもたちを学校と幼稚園へ送り届けたあとの、束の間の時間だった。
窓際の席で、冬のやわらかな日差しを浴びながら、妻はコーヒーカップに口をつけた。
「ああ、温かいコーヒーを、温かいうちに飲める」
そう言って、小さく笑った。
冗談のような一言だった。
けれど、その横顔を見ていると、彼女の日常は、僕が思っている以上に、自分のことを後回しにすることで成り立っているのかもしれないと思った。
「最近さ、何か欲しいものとかってある?」
何気なさを装い尋ねると、妻は少し驚いた顔をした。
「え、私?」
しばらく考えてから、困ったように笑う。
「そうだなあ。まとまった睡眠時間、かな」
それから、冷めないうちにと、またコーヒーを口へ運んだ。
その言葉が、なぜか僕の頭から離れなかった。
モノが欲しいのではないのだろう。
誰にも呼ばれず、何かを気にかける必要もなく、ただ深く息をつける時間。
そんな時間を、彼女に贈ることはできないだろうか。
その日から、僕のもう一つのクリスマスプロジェクトが始まった。
贈り物は、何か休息にまつわるものにしよう。パジャマなんてどうだろうか。
仕事終わりに百貨店の寝具フロアを何周もして、最後に選んだのは、シルク100%の美しいパジャマだった。
触れた瞬間の、あの何とも言えないとろけるような滑らかさが忘れられなかったからだ。
忙しい一日を終えた彼女がこのシルクパジャマに袖を通し、ほっと一息つく姿を想像しながら、ギフトボックスをクローゼットの奥へと隠した。
十二月二十四日の夜。
「サンタさん、ちゃんと来るかな」
そう何度も確かめていた子どもたちも、やがて深い眠りについた。
リビングの明かりを消すと、ツリーの電飾だけが、静かな部屋の中で明滅している。
子どもたちの枕元にプレゼントを置き、足音を忍ばせてリビングへ戻ってきた僕たちは、長い任務を終え、ようやくソファに腰を下ろした。
「今年も無事、サンタクロース任務完了だね」
僕が言うと、妻はハーブティーの入ったマグカップを両手で包みながら、「お疲れさま」と笑った。
「実は、もう一つあるんだ」
僕はソファの陰に隠していた箱をおもむろに取り出し、妻の膝の上に置いた。
「え?」
妻が目を丸くする。
「これはサンタクロースからじゃなくて、僕から」
少し照れくさくなり、妻の顔をまっすぐ見ることができなかった。
「いつも、ありがとう」
妻は何も言わず、リボンに指をかけた。
ゆっくりと箱を開け、現れたシルクに、そっと触れる。
「……すごい」
指先で生地をなぞりながら、小さくつぶやいた。
「こんなになめらかなパジャマ、初めて」
「この前、ゆっくり眠りたいって言ってたから」
そこまで言ってから、僕は付け加えた。
「明日の朝は、僕が子どもたちを見るよ。何時まででも寝てていい」
妻の指が止まった。
しばらく箱の中を見つめたあと、僕のほうを向く。
「そっちのほうが、プレゼントとして大きいかも」
そう言って笑った声は、少しだけ震えていた。
やがて妻は、パジャマを胸元に抱えるようにして言った。
「ありがとう。大事に着るね」
数分後、パジャマに着替えた妻が、少し照れくさそうにリビングへ戻ってきた。
ツリーの淡い光を受けたシルクは、彼女が動くたび、静かに表情を変えた。
「どう?」
「うん。すごく似合ってる」
二十代の頃のように、予約したレストランへ出かけることはない。
シャンパンもなければ、夜景の見える席もない。
隣の部屋では、子どもたちが明日の朝を待ちながら眠っている。
僕たちはツリーの明かりが灯るリビングで、ハーブティーを飲みながら、久しぶりにゆっくりと話をした。
家族になった僕たちだからこそ過ごせる、穏やかで、満ち足りた時間。
サンタクロースが帰ったあとで、僕たちのクリスマスが始まった。
